ヘルシー半生

ノニウスのしげのです。

布団

10日間くらい、熱を出して寝込んでいました。
昨日今日でだいぶ回復して、今はお茶漬けやうどんをむしゃむしゃ食べれるようになりました。
休んでいたアルバイトも来週から復帰する予定で、復活も程近いです(たぶん)。

熱がある間はほとんど布団の中で、検査やら何やらで病院には徒歩で行っていましたが、帰ってきたら布団で寝る、薬を飲んで布団で寝る、目が覚めたら布団でゲームして、疲れたらまた布団で寝るという日々でした。布団が嫌いになりそうです。

吐き気もあったので食欲があまりなく、ヨーグルト、飲むヨーグルト、ウイダー的なゼリーを主食として、たまに調子のいいときだけおじややうどんを食べました。

少ない食事と、ひたすら布団で寝る日々は、まるで修行のようでした。

熱が下がらない間、やはり死を意識していましたが、自分は今まで、世の中に対して偉そうにしすぎてたんじゃないかとか、あぐらをかいていたんじゃないかと反省してきました。

家に引きこもっている間、外の世界とほとんど関わらず、私が死んでも誰も気づかないんじゃないか?という気持ちがしました。今までは少しそういうことをないがしろにしていたけれど、私はそれがすごく寂しいんじゃないかと思いました。私が生きていることを、私が死んだことを、私という性格を、人間性を、私はもっと他人に知ってほしいんじゃないかと、今まで他者を自ら突き放すようにしてきたことを寂しく思いました。

寝込んでいる間は演奏することを考えていました。
歌を歌うことは特別で、魔法(!)です。キラキラフワフワした魔法ではなく、空気を震わすことが魔法だと思います。空気を震わす、空間を切り裂いて、空気を変えることができるというのが、私が音楽を好きな理由のひとつです。
自分たちの前回のライブ録音を聞いて、絶対にまた演奏したい、と思いました。まだまだよくしたいところがいっぱいあるからまだ死にたくない、死後、私の実力はこんなもんだったんだって思われたくないと思いました。

死ぬことはたぶんなく、晴れて元気を取り戻してきました。休みすぎて、社会(バイト)にちゃんと復活できるかすこぶる不安ですが、ともかく元気になれそうでよかったです。

寝込んでいる間聞いていて、頭を巡る長澤知之の曲↓


【NEXUS LOVERS #5 長澤知之】Vol.9 どうせ陽炎


ああ俺ってつくづく楽しくねぇ
楽しくねぇから友達もいねぇ
近くに穴があったら入りてぇ
そこでしばらく自分を悔やみてぇ


布団の中で十分悔やみました。
元気に復活したら、これからは、もっと一生懸命、そしてもう少しやわらかに生きたいです。
ライブは2/9に代々木で予定しています。
きっと元気に出演して演奏できることが心底嬉しいです。

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ひとりごと抱負

元旦に新年の抱負を語るなんてなんてつまらない女に成り下がったんだろうと思ったけれど(!)、いろいろ思いついたので書きます。

去年は、まず大学に入学して、それからノニウスの演奏も固まってきて活動も本格化して、今までの人生で最も忙しい一年だったかなあと思います。

バイトも、学校も、バンドも、行った「その場」をがんばるしかないというような日々でした。ただ、それでもなんとかしがみついてやってこれました。単位も取れたし、上達もしたし、あんまり休んだりせず働けた。勉強も練習ももっと落ち着いてできたらよかったけど、なんとか隙間なくやれました。

今年の目標は、毎年変わらず、まずギターと歌を上手になること!5年連続くらいでそういう目標を持てて幸せだ。今のところ毎年更新できている。ぜひ一生上達し続けて、去年の方が上手かったっていう年が一度もないようにできたらいい。

大学に入ってよかったことのひとつが、とにかく本をいっぱい読むようになったこと。新書や論文を読むなんて自分の人生の予定になかった。難しい文章も慣れて読めるようになってきて、新書も論文も本当におもしろい。それだけでも人生の大収穫だった。大学生一年目にして、真実はいつも学問にあるんだぜ!と思っている。一方通行の「情報」とは違うんだ。

なので今年は本を読むことも然り、一生懸命勉強したい。あと5~6年くらい通うかなあと思うんだけどもう卒論を書く練習をしてて(!、歴史学科で自分の研究論文を書くのが最大の目的という感じの学科だから)、私は入学する前から決めていた、とにかく近現代の戦争のことをやりたいんだあ。自分のテーマを研究して論文を書くのが目的なので、全時代を網羅しているわけではなくて、戦国武将のこととか江戸時代のこととか言われてもあんまりわからないのであしからず…

あと全然関係ない目標が脱・化粧(!)をしようかなあと思っていて、もともと大体BBクリーム(液体ファンデーションみたいなの)とチーク(いわゆる頬紅)のみを使用していたんだけどBBクリームを洗い落とさなくていいらしいCCクリームというやつに変えようとしていてそしたらほとんど化粧してないやんけ!という感じです。
もともとスーパースペシャルな乾燥肌で二十四時間三百六十五日皮膚とたたかっている。かゆみの研究をがんばっておられる研究者に年2万円くらい寄付したい。

今年の年末を迎える頃にはまた同じ人とは思えない自分に変わっているんだろうな(たぶん)。流動的、流動的、私は常に生まれ変わって死んでいる。何も怖くない人生だ。

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今年もお世話になりました?

今年もお世話になりました……?

たぶん今年、世間一般に言うところの「お世話になった」感じの人はあまりいない。(そんなんばっかり)

が、出たライブハウスの人たちや、私の名前だけは知ってるかもしれない大学の教授や、ライブ観に来てくれた面々などに心の中でお世話になりましたを言う。あなたたちがいなければ私はきっと今ごろ、だいぶ違う雰囲気の人間になっている…

けどバイト先の人々には普通にお世話になったな、1ヶ月半に1回くらい病気早退しているし…(偏頭痛という吐き気を伴う世にも恐ろしい頭痛)
エチケット袋を抱えながら従業員通路を歩いた地獄。今思えば案外痛快な地獄である。
車(電車)酔い歴も長くてほとんど吐くプロともいえる。
(お酒で吐いたことはない、二日酔いもなったことない、そもそも外でお酒を飲んだことが数えるほどしかない)
遠足のバスこそ地獄だったな。今の自分だったら絶対にボイコットする。
吐くとわかっているバスになぜ乗らなければならない!
一番前の席は酔いにくいというのは科学で証明されているのかしら。私の(人体)実験では全く証明されていない。
(吐く話ばかりですみません)

直接お世話になった人というのは少ないけれど、でも父母は毎年年賀状で何年も(何十年も)会っていない人にも「今年もお世話になりました」って書いてたから、お世話になるっていうのは物理的な問題の話じゃないのかもしれない。精神的な何かなのかもしれない。

それで考えたら、会う数は少なくても「お世話になった」んだろう人はきっといる。
あなたには私よりずっと「お世話に」なっている人々やコミュニティがいくつもあるんだろうけど、それでも私にとってはあなたはかなり上位の(なんならトップテンくらいの)お世話になった人ですよ。
そんなひねくれたことをけっこうずっと思っている。
あなたにとってはオマケみたいな人間関係でも、私にとってはほとんどメインなんですよ…
ひねくれすぎた。今はそこまではひねくれていないけど。
そういえばすごく初期の頃に書いた曲に、「昔の友達にはもう新しい友達がいて 薄暗いこの部屋だけが私の世界」みたいな歌詞があったなあ。

それでも今年は「友達」にたくさん会えた年だった。
4年ぶりに会った友達、2年ぶりに会った友達、半年毎に会ってる友達(なんだいっぱい友達いるじゃないか)、
思い返せば今年はすべての「友達」に会えたんじゃないだろうか。すごい一年だった。ひねくれるのをやめたからに違いない。

来年は25歳になる。
今更(?)自分の歳にあんまり感慨とかはないが、もうそろそろ「若い!」ってあんまり言われなくなるかなあ。
ギターと歌をちゃんと上手になりたい。若いって言い訳がなくてもちゃんと上手に。
それから一生懸命勉強したい。望みはそれくらいだ。

まずは来年の学費をきちんと払えますように!

俺が泣くのは歌だけや

日々日々めまぐるしい。

主に追われているのは学校の課題と、バンドのCD制作の事務的作業で、日々のバイトの隙間をぬってやっている。

俗に言う(!)忙しいというやつだけど、全部誰にも頼まれちゃいない自分のことで、自分のことで忙しいというのは楽しくてちょっと笑える。

当面の目標は、バンドが黒字に傾いて、バイトの時間を3分の2くらいにできることかな!

今の生活にも160%満足しているけど、「社会情勢を斬る!」と息巻いて(?)開設した新しいブログをまったく更新できていないのと、本をなかなか読めないのが難点です。

身体がひとつでなんとか足りてるけど、心は身体についてこれないというか、心なんて持っていたらとてもじゃないけど追いつかない。
脳みそは持っているけど、心はもはや持っていっていない。心は曲の中にだけあればいいと思っている。私の心は曲の中にしかない。
生きている身体を一生懸命使って、何かを成し遂げたいと思っている。

勉強だけが友達さ

こんなに交遊関係が狭い(ないと言っても過言ではない)現代人はどのくらいいるんだろう。

知らないだけで、意外といっぱいいるのかもしれない。そういう人たちと、バンドの音楽を通していつか出会いたいなとか思う。

今年大学に入って、よく勉強している。授業は週に一日しかないけど。
明日はハロウィンで授業の日だから、仮装した人とかいたらどうしよう。

この間ブログをもう1個作った。
サウンドマインド、サウンドボディ

勉強していて考えていることとか、他に世の中のことで考えていることを書いてみたいと思った。
まだ本文は何も書けてないけど、一生懸命考えて書きたい。

24歳にして一生懸命勉強できていてとてもうれしい。
電車の中でテキストを読んだりしていると高校のときのことを思い出す。

私は高校ですごく劣等生で、全然勉強ができなくて、苦しい3年間だった。
どのくらいできなかったかというと、評定平均という通知票(5段階)の平均値がたしか2.4とか(体育と音楽が4で、あとは2だったような…)で、テストの点は1桁~30点台が主で、授業で先生がランダムにみんなを当てていくときはだいたい簡単な問題のときに当てられて、高2の終わりに入った塾で「家から通える距離に入れる大学がありません」と言われるくらいにはできなかったんだ!

中学までは勉強できるほうだったけど、身分不相応な高校にうっかり受かってしまって授業についていけないという、きっとよくあるパターンの挫折なんだけど、自分としては一生懸命やっていたし、特に部活をやめた高2の秋からは学校のあと毎日マックとか喫茶店に行って夜10時まで(高校生だから)勉強したりしてたのにそれ(↑上記のありさま)だったから、私は「報われない努力もある」&「報われなくちゃ嫌な努力はしないほうがいい」ということを学んだのでした。

それでも自分で受験勉強がんばって第一志望の大学には受かって(先生は「マーチに受からなかったら受験は失敗」と言ってたので私は「失敗」なんだけど!)、まあその大学はまた一年で辞めちゃうんだけど、今は幸せに生きている。

今年新しく入った大学で勉強楽しい~と喜びを嚙みしめながらいっぱい勉強できていて、十二分にあの頃の恨み(!)を晴らせている。私はやっぱり勉強が好きだったんだ!どうだみたことか!

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少数民族

「まんが パレスチナ問題」という本を読んだ。

まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)


中身はまんがではないけど…

学校の課題でパレスチナのことをやろうと思って、けど基礎知識が全然ないなと思って読むことにしました。

ノアの箱船(大洪水でダメな人類を洗い流して、生き物各種ひとつがいずつだけ船に乗せて生き延びさせるという神話)から、911のテロ以降現在までの話。

どこまで言い伝えでどこから事実かもわからないけど、ノアの箱船の大昔から「今」まで、ちゃんとすべてが繋がっていて、あのあたりの地域の人々はすごく大きな時間の流れの中に(/を意識して)生きているんだなあと思いました。

日本はもしかしたら、第二次世界大戦あたりで「大きな時間の流れ」がブチっと切れてしまったんじゃないかな?と思いました。

戦後だけが現実の出来事で、それより前は物語のよう。
(戦中生きてた人や、戦後すぐ生まれた人はどんな感覚なんだろう)

大きな大きな時間の流れの中でなら、テロが起きるのも戦争が起きるのも不思議なことじゃない。
それらを非現実だと思うのは、ブチ切られた短い時間の中に生きてるからじゃないのかな?と思います。

本当に「大きな時間の流れ」の中では、今日本はアメリカの植民地(に近い)と言ってもいいんじゃないかと思いました。
自治はしているから植民地ではないけど、戦争に負けたから従わされるようになった。100年後の教科書にはそういうニュアンスで載りそう。
何も思わずに、洋服を着ている自分に一瞬ぞっとしました。(洋服はたぶん戦争に負けたから着てるわけじゃないけど)(まるですべての自由の中から、選んでこの服を着ていると思っていた)
私はそういう歴史の大きな流れの中の民族だったんだ。

本で読んだパレスチナ周辺の変遷は、流れにすごくはっきり因果関係があって、全部つながっていた。(一冊本読んだだけでまだわからないけど…)
日本の現代人(?)の多くは、「果」のほうの中にすっぽり入ってしまって、「因」のほうのことをすっかり忘れているのかもしれない。
「短い時間」の中で、平和に暮らしている。

自分の生活に一生懸命で、もっともっと大きな流れのことを忘れてしまっている。
(バイトの仕事中は世界の戦争のことなど忘れてしまう、自分)

自分の外側に、もっともっと大きな流れがあることを忘れないようにしたい。
長い歴史の中で生きている「民族」なんだっていうことをよく覚えておこう。

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インスタントカメラ

1年前くらいから、なるべく写真を「現像」するようにしている。

スマホで撮った写真は、スマホのアルバムの中にずっと入ってると、だんだん見飽きてありがたみがなくなってしまう。
自分がその写真を絵として覚えてきちゃって、写真見ても撮ったときのことを思い出せない感じ。

それがもったいないしすごく寂しいので、もとのスマホに入った画像はあんまり見ないようにして、現像してアルバム(本物の)にしまった写真をたまーに見ることにした。

あとは、スマホのカメラだといくらでも撮れるから、何枚もばんばん撮ったり撮り直したりして、それもまた一枚のありがたみがない。
一枚目がいまいちで、二枚目顔をキメて撮り直して、一枚目は消去したとして、キメた二枚目ばっかり残っていくのは、もしかしたら「いい写真」が全然残らないんじゃないか…?という気がしてきた。(顔は決まっていてもなんかこう、雰囲気が削がれているような…)
景色とかの写真を撮ったとき、もっと良く撮ろうと思って撮った二枚目はだいたい一枚目よりよくないのと同じかな?という気がする。

それもあって、この間は10年ぶり(というか自分でお金出して買ったのは多分はじめて)くらいにインスタントカメラを買ってみた。
970円くらいした。
やっぱインスタントカメラでしょ!現代にきっとインスタントカメラでディズニーシーで写真撮ってる人はいない、と思って嬉々としてディズニーシーに行ったけど、途中でフィルム?が切れちゃったみたいでシャッターが回らなくなって、結局4枚しか撮れなかった。そのあとはスマホで撮った……

そして今日、4枚の写真をやっと写真屋さんに受け取りに行った。
現像代が870円くらいして、スマホでいくらでもタダで撮れるやつをインスタントカメラ+現像で2000円弱か~と思いつつ、けどそのくらい高い方が、一枚を大事にできていいんじゃないかな!と少し開き直りましたとさ。

(カメラ屋さんにシャッター回らなくなっちゃったと言ったら新しいインスタントカメラをもらえました。)

おわりです。